14km×6→85km
結果…33位
ジュニアとして最後の全日本選手権。
日本国内では一番狙っていたレースだったのでレース二日前に現地入り。
飛行機等の準備をしてくれた親や引率してくださった福田選手のお兄さん、ありがとうございました。
二日前はイメージをしっかり物にする為にコースを5周。計80km程走る。最後以外は強度は上げてはないが、コース的に普通に練習になった。基本SST強度。
レース前日は軽く乗り回復日。
レース当日。雨が降るか、降らないかという天気。ハイドロオイルを浅く塗りレーススタート。フランス以降オイルを1/2程度塗ると調子が良く感じる。
アップの関係で最後尾スタートだったがペースはある程度落ち着いているのですぐに先頭へ。ペースアップはあるもののペースの上下があるので中盤の下りを前にアタック。しかし有力勢がついてくるかの様子見アタック(付いてきたら行く予定)だったのですぐに吸収される。
その後も日野泰静選手がアタックすると全員が追うので、追って抜け出しを図ったが決まらない。そんな形で周回を消耗し中盤へ。
小野寺選手を含む逃げが形成され、これが決まってしまう。反応しなければまずいと思っていたが日野泰静選手や馬越選手、その他アタックがどれも決まりそうに見えてしまい反応していた後だったので厳しく乗ることが出来なかった。
今回のレースの場合は全員が勝とうとしているレース(チームの為というのは基本存在しない)なのでしっかり勝ち逃げを見極めるべきだった。
その後牽いてくれるのはほんの一部で、南大隅、榛生昇陽、その他数人の選手のみ。タイム差が広がり個人的に焦りが出てくる。有力勢でブリッジするしかないと考え、福田選手にどうするか聞いてみると有力勢で先頭を追う方向性になっているようだった。
今思うと集団が先頭に追い付き集団スプリントか、ブリッジして少人数精鋭のレースだったら自分の脚質には後者があっているので自分の意思でブリッジするべきだったと思う。
ここが他力本願が残る考え不足の部分だと思う。
気になるのがこの辺りで横っ腹がかなりの痛みを伴う。1週間ほど前から歩くとすぐ横っ腹に痛みが走っていたのと関係があるかもしれない。今回のレースは下りが長かったので深呼吸をしっかりして痛みを和らげることが出来た。原因を解明したい。
【基本的にきつかった。無駄足も目立った。】photo:岡元 恒治さん
残り2周。福田選手が登りのペースを上げ協力するのは馬越選手、自分のみ。
間に入っていた選手は完全に牽かない。こういったストレスもブリッジなら無かったかもしれない。登りで30秒縮め、最終周回へ。
逃げは近づいていて見える距離になり日野泰静選手がアタック。自分達も厳しいが乗っていく。自分は脚もなくギリギリしがみつくという感じだった。先頭に追い付き、人数を減らした集団になる。
このまま飛び出しが何回かあったが集団には進み、後半の平坦で小野寺選手がアタック。兒嶋選手もブリッジしているのが見えたので自分もブリッジ。ジョインしたが周りも追ってきて決定的な逃げにはならなかった。
そのまま残り数キロへ。実は当初残り3kmの軽い登りでアタックすることを考えていたが(そのあとが下りのため)、脚がつりかけ断念。
回復させ残り1km地点で集団のペースが落ちたのでアタック。しかし威力も足りず残り400mで発射台になってしまう。
ここも考えてなさが出てしまう結果になってしまった。逃げると決めたならもっと限界まで踏めただろうし、最後もしっかりスプリントすればもっと良い順位だったと思う
【最終周のアタック合戦。一番右が自分。笑っとる、、、。】
考え不足。監督にも言われたが、これがやはり一番目立ったレースになってしまった。
海外を経験して少し天狗になっていた部分もあるかもしれない。というより積極的ということを履き違えていたと思う。最初からアタックを続けて勝つのは本当に強い選手で、自分の身体的に無駄と言えるアタックを繰り返した結果、脚がなくなった形になってしまった。
決めるなら決める。やらないならアタックしないを決められず中途半端が続いてしまった。
アタックは重要だが、決まらないアタックに価値はない。分かっているのにレース中しっかり考えられない自分だから勝てないと痛感するレースだった。
選抜大会からこういった部分が進化していないと感じた全日本ロードレース。こういったレースを繰り返さないようにしていきたい。
選手の動きとしてはやはり小野寺選手、福田選手を参考にしたい。自分の現状とは違いしっかりプレイスタイルに沿った戦略を立てていた。自分も全く考えて無かった訳ではないが、レース中の臨機応変な対応力に差を感じた。こういった部分はトレーニング以外の事で改善出来ると思うので日頃の生活からよりよく考えるようにしていきたい。
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