みなさんこんにちは。香山です。
先日の宇都宮CXで今年のレーススケジュール、すなわちU23カテゴリー最後としてのシーズンが終わりました。
今回は自分のU23カテゴリーの4年間がどんなものだったのかを振り返りながら書いていこうと思います。
長くなりますので最初に感謝の言葉を述べさせていただければと思います。
この4年間は私にとって何物にも代えがたい、自分を成長させる貴重な時間になりました。生きがいを感じるように楽しい時も、挫折し心から苦しさを覚えた時でも、全て乗り越えて前を向いていられるのは常に支えて下さった皆様のお陰であります。
この4年間携わって下さった皆様に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いいたします。
2019年 U23①
u23の前半は多くの時間をフランスで過ごしました。高校を卒業し希望に満ち溢れていた自分は、本場ヨーロッパへの憧れと強い意志をもってレース活動に取り組みました。
U23初年度は本当に初めての経験が多く、一瞬で過ぎ去ってしまったことを覚えています。当時は高校生の時に比べ自己責任というものを理解し、焦燥感すら覚えながら生活していました。初めての地、初めての一人暮らしは勿論、初めて文化の違いを肌で感じ、初めて自分のアイデンティティを外から眺めるような時間を過ごしました。
そんな中で可能な限りを尽くしてセンス良く、柔軟に活動していく事に憧れ努力したことを覚えています。本当にたくさんのドキドキとワクワクがあり、冒険しているような気持ちでした。
毎週末がレースという豪華なスケジュールをこなし、本場のロードレースのいろはを学んだ年でもありました。まさしく自転車漬けの最高の日々だったと言えるでしょう。
しかし当然ながら自分の能力は今に比べても年齢相応に欠如しており、たくさんの失敗があったことも事実です。そんな中温かく受け入れて下さったフランスの皆様、仲間にはとても感謝しています。
2020年 U23②
2年目に入った2020年はコロナウイルスの流行や、身体の故障(強いストレス・オーバーユース・身体の成長等、複数の要因から発症したと推測される右わき腹の痛み)も相まってとても難しい1年となりました。結果的に早くも自分の目標や取り組むべきルートマップにメスを入れなければならなかったのです。
上記に加え当時所属していた国内側のチーム分裂騒動と今思い返しても人生の中で一番精神が揺れた1年でした。
その中でも自分はプロ選手になりたい一心で原因解明と復帰に向けたリハビリにすべてを注ぎ込みました。しかしポジティブな気持ちで取り組んだ自分とは対照的に、月日が経っても原因解明はおろか復活に向かう兆しも見えませんでした。
国内で検査を続けたり、フランスに再度飛んでレース活動を再開したりともがきましたが、段々と精神的に参ってしまった自分がいました。
一度プロになるためのロードマップをリセットしなければならない。一度落ち着いてやり直さなければ取り返しの付かないことになる。あきらめるワケにはいかない、まだ全力でやり切ってない。考えれば考えるほど色々な想いがこみ上げてきます。
ストレスを感じていた環境を変えるためにも、次のロードマップを急遽設定し始めます。そんな強い焦りと小さな解放感の中、偶然にも弱虫ペダルサイクリングチームのドキュメンタリー番組を目にしたのでした。
「一度挫折した選手を応援する、ここから這い上がってほしい!」
番組内で渡辺先生が語った一言でこれだ!と思いました。
すぐにチームにコンタクトを取り、こんな状態の自分を快く受け入れて下さったのが佐藤GM、プレイングコーチの唐見選手でした。こうして私は故障を治すことを最初の目標に活動を国内に移していく事になります。
2021年 U23③
U23カテゴリー3年目となる2021年。幸いにも加入を認めてくれた弱虫ペダルサイクリングチームに所属してから、自分は強い刺激を受け続けることになります。
思い返してみれば当時の私は天狗になっている側面がありました。
ジュニア時代から順調にレベルアップをし、ナショナルチームにも所属したことから色々なレースにも参戦しました。若いのに賢い、よく考えているともてはやされ、海外チームで活動していた自分の自己評価は無意識の範囲で高くなっていたのです。
厳密には謙虚なつもりで活動しているのに、周りから見たら”痛い”といったところでしょうか。
佐藤GMや入部選手を筆頭にたくさんの仲間と出会った自分は、徐々に人間性を学び、少しずつ社会的な常識を理解し始めます。この時の気持ちはまさしく打ちひしがれるといったものでした。
自分はまだ全然強くないし、自分はまだ大した選手でもない。ここからがチャレンジで這い上がるための努力が始まる。一度理解してしまえば、想像以上にあっさりしたことでした。
幸いにも弱虫ペダルサイクリングチームの練習環境、リカバリー環境、コミュニケーション環境も相まって故障した身体は徐々に回復を見せていきます。あれだけ痛んだ身体が嘘のようでした。
シーズン後半戦からは一段と状態が良く、故障が治ったと言えるような日々が続きました。これまでにない強い解放感のある毎日だった事を覚えています。精神的にもスッキリして、リスペクト出来る仲間に囲まれ、どんどん自分が進化していくような時間を得ることが出来ました。真の謙虚さや、自分を受け入れる心の強さを育んでいただきました。
しかし自分が想像していた以上に目立ったリザルトを手に入れることは叶わず、自分って弱くて才能がないのではないだろうか、イケイケだったころはどうやって自転車に乗っていたのだろうと、自問自答するような日々があったのも事実でした。そんな揺れるような想いと共にトレーニングに励み、次の年を迎えることになります。
2022年 U23④
U23最終年となる2022年。故障は完治したと言える状態にあり、真にここから復帰をかけた1年にすべく努力を重ねていきます。沖縄合宿ではパワーデータの更新も相次ぎ、良い感覚でシーズンへと向かっていきます。
しかし3月のナショナルチームのフランス遠征でコロナウイルスに感染してしまい喘息を発症。今思えば明らかにパフォーマンスが低下した日々過ごすこととなります。
必死に取り組んでいるのに、結果が伴わず弱い自分。喘息症状にも悩まされ、誤魔化しながら月日が経過していきます。今年で結果を出せなかったら、いよいよ自分の選手としての答えになってしまう、そんな想いもありました。
しかし、もうここまできたら120%の努力をしてみるしか無いのです。時間は待ってくれないし、シーズンは進んでいきます。出来る限りを尽くす、その想いで最後の全日本選手権U23にフォーカスしてトレーニングに励みました。
結果はTT、ロード共に3位でしたが最大限に集中し自分をコントロールできた上での結果だったので強い納得感がありました。悔しさがないと言ったら噓になりますが、全力でやってみてよかったと心から思えたのです。
続く後半戦も比較的安定感は出てきましたが、「勝てなかった」という事実が常に自分を刺してきます。ジャパンカップにも参戦し、改めて海外トッププロとの差も見せつけられるなど自分を奮い立たせられながらのシーズンオフとなりました。
また、2022年は視野が広がった1年でもありました。レースやイベント含む事業、組織論、社会の歯車を垣間見るなど広い方面に学ぶ機会がありました。
個人や企業、組織がどのように動き、何かを成し遂げる際にどれだけの人数の労力が発生するかを客観的に理解する事が出来たのは私の中でも大きな変化だったと思います。
歯車は一つでは成り立たず、自分も対価をもって社会の歯車になることが求められていくのだという事を学びました。これらは今後生きていく上で役立つことは言うまでもないでしょう。
私はまだまだこれから。そんな前向きな感情と共にレース活動に集中できた良い1年でした。
総括
私のU23の4年間ははっきり言って完璧なものではなかったと思います。むしろ挫折色の強いものでした。判断・決断を幾度となく迫られ、柔軟に対応する必要のあった4年間。自分のパフォーマンスに納得いかない時間も多くありました。
しかしそんな中でも私の人間性・社会性は時間をかけてナイフを研ぐように磨かれていったのです。
私はこの4年間、ロードレースという最高のスポーツに本気で挑み、本当にたくさんの得るものがあったと振り返ります。スポーツの世界で学んだことが自分のベースになることは間違いなく、既に私の中で財産と化しているのです。
そしてこれからも考えをアップデートしたり、新しいものに触れる事が出来ると確信しています。
「より刺激的な世界を目指して全力で挑戦する、ステップアップを狙う。」
これが今私に出来る、優秀な人間になる、中身の濃い人間になる為の必要事項だと思っています。その結果がどうなるかは誰にもわからないと思うし、それでいいと思っています。私はその先にある、若い時間を注ぎ込んだ末の納得感を得たいのです。
競技歴にして7年。それでも私の挑戦は始まったばかりなのです。
P.S.
最後まで読んでいただきありがとうございました。冒頭でも述べさせていただきましたが、ここまで自分に携わって下さった方々に改めて感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。
これからもより一層精進して参りますので応援・サポートしていただけたら幸いです。今後とも「香山飛龍」をよろしくお願いいたします!
camera :
弱虫ペダルサイクリングチーム , kensaku sakai
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